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みんなの「遊び」ブログ


絶望までのモラトリアム

2017/03/06 17:50
私はいつまで生きる事が出来るのか。

私にいつ死が許されるのか。

絶望までに残された時間。

そう。

絶望までのモラトリアム。

恐らく、というか間違いなく、そう長くはないはずである。

「一年も、もたないだろう」

その様な余命宣告を受けてから、約半年。

残り半年の間に死ぬ事になるとは思う。

ただ、その半年のいつになるのか。

どうしても、それが気になって仕方がないのだ。

もし私が元々、健康であったなら、病気になり余命宣告をされる事でショックを受けたのかもしれない。

しかし私は生まれついてから、ずっと闘病生活を送っている。

そんな中で死ぬ事を望む様になっていた。

そして突然に降ってきた余命宣告。

その余命宣告は私にとって、ある種の希望となった様に思う。

"後、一年だけ生きれば、死ぬ事が許される"

勿論、死ぬ事に対する恐怖はあっただろう。

でも、それ以上に死が待ち遠しくもあったのである。

長い闘病生活の中で生きる事に希望を抱く事は苦痛以外の何モノでも無かった。

勿論、治せるのであれば、治して元気になりたい。

最初はそう思って、頑張って治療を受けていた。

しかし、いつまで経っても病気が良くなる気配すらない。

それでも周囲の者達は励ましてくれた。

勿論、その気持ちはありがたくはある。

でも、いつまでも良くならない病気。

その病気は私の精神まで蝕んでいく。

何もかもが嫌になる。

何もかもが信じられなくなる。

何もかもを投げ出したくなる。

そんな私にとって周囲の励ましは刃となっていった。

そして次々と切り刻まれていく。

"何故、こんなになってまで生きようとしなければならないのか"

いつしか生への希望は絶望へと変わっていた。

本当の本当は死にたくなんかない。

でも、こんなに辛い思いをしてまで生きたくもない。

ただただ、楽になりたかった。

そんな私の気持ちを察しての事なのか。

それとも病院側も正式に治療を諦めたという事なのか。

とにもかくにも、私にとってはサプライズなプレゼント。

正直、ホッとした。

そして絶望が希望へと変わった。

"長くとも一年以内に死ぬ事が出来る"

そう思うと生きる事が楽しく思えてきた。

残りが少ないと思うと、その残された時間を大切にしたくなる。

不思議なもんだね。

それまで

"いつまで生きなければならないのか"

と苦しんできた事すら、馬鹿らしく思えてくる。

そして

"いつまで生きる事が出来るのか"

その事にワクワクする自分がいる。

死という本当の絶望までの猶予期間。

今の私には、それだけが気掛かり。

勿論、死にたくはない。

でも、死にたくもある。

勿論、焦りを感じたりもする。

でも、待ち焦がれたりもする。

絶望までのモラトリアム。

そして私は気付かされた。

以前に感じていた絶望がまやかしであった事。

死を望む事が絶望だなんて思い込みでしかなかった。

例え死であろうとも望む事が出来るのは生きているからこそ。

だから実際に死ぬ事だけが、この世で唯一の絶望なのだ。

生きる事は実際に死ぬまでの猶予期間。

その猶予期間をどう過ごすのか。

人それぞれ。

私は人生の殆どを恨んできた。

でも、人生の最後に楽しむ機会を与えて貰えた様に感じる。

だから私は精一杯に楽しむ。

死に焦りを感じる事を楽しむ。

死を待ち焦がれる事を楽しむ。

とにかく残された時間を楽しむ。

そんな中で、どうしても気になってしまう。

猶予期間がいつまでなのか。

でも、それも楽しめばいいんだね。
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過ちの産物

2016/06/26 08:15
「生まれてきて、ごめんなさい」

誰にともなく、言ってしまう。

神は何故、僕をこの世に遣わしたのか。

何の役にも立たず。

誰にも必要とされない。

すると突然、何処からか、何者かの声が聞こえて来る。

『こちらこそ、申し訳ない』

「誰だろう!?」

『しかし、誰にでも過ちはある』

「誰なんですか?」

『それは察して貰う外はない』

「解りました」

『一つだけ言える事は、お前の可能性こそが、過ちの産物である、と』

「それは、どういう事なんでしょうか!?」

『過ちから生まれる可能性もある』

「そうでしょうか」

『では、先程、お前は謝っていたけど、誰に謝っていたのじゃ!?』

「別に、誰にと言う訳でもないんだけど」

『では、何を謝っていたのじゃ!?』

「僕が生まれて来た事です」

『お前は自分の意思で生まれて来たのか!?』

「う〜ん。どうなんでしょうか!?自覚はありませんが、こうして生まれて来ている以上は、自分の意思であるのかもしれません」

『ならば、自分の意思ではないのかもしれないという事でもあるな』

「そうなりますね」

『その場合は私の所為である、と』

「じゃあ、貴方はやっぱり、」

『それは訊くな』

「すみません」

『とにかく、誰の所為であろうと、過ちはあるもんじゃ』

「はい」

『その過ちを可能性に変える事が出来るかどうかは、本人、次第になる』

「そんな事を言われても、」

『何じゃ!?言いたい事があったら、はっきり言うてみい』

「何も出来ないから、生まれて来た事に罪悪感を感じもするのです」

『だから、過ちは誰にでもあると言っておろうに』

「でも、」

『無力な自分が、どうしても許せないのか!?』

「はい」

『それは、それで仕方がないが、無力だからこそ、出来る事もある』

「それは、どういう事でしょうか!?」

『無力なお前が居てくれるおかげで、無力であっても居ていいんだと、他の者は思ったりするのかもしれない』

「そうでしょうか」

『だから、あくまでも可能性の話。お前には、その可能性がある』

「う〜ん」

『無力な者にしか出来ない事もある。だって、そうじゃろう!?』

「何がですか?」

『無力でない者に無力である自分を許して貰っても、自分は無力な自分が許せなくもなる。今のお前が、そうじゃろう!?』

「そう言われると、そうかもしれません」

『でも、それが、もし、お前と同様に自分の無力さに苦しんでいる者だったら、どうじゃ!?』

「どうなんだろう!?実際に、そうなってみないと分からないけど、」

『うむ』

「相手を許す事は出来そうな気がします」

『そういう事じゃ』

「どういう事ですか!?」

『相手にも許しを与える事が出来るのじゃ』

「相手にも許しを与える!?」

『お前は相手だったら、許す事が出来そうだと言ったじゃないか』

「はい」

『だったら、相手もお前を許す事が出来るのかもしれない』

「なるほど」

『そして、お互いがお互いを許す事で、自らを許す事にも繋がる』

「そう上手くいけばいいですけど」

『だから、可能性の話をしている』

「そうでしたね」

『その可能性は無力であるからこそ、でもあるじゃろう』

「なるほど」

『無力である事は苦しい事かもしれない。辛い事かもしれない』

「はい」

『でも、苦しいからこそ、辛いからこそ、同様の苦痛に苛まされる者の力になれる事もあるのではないか』

「そうですね」

『お前には苦しい思いをさせてしまって申し訳ないが、そんな自分の可能性を信じて貰えると有り難い』

「出来るかどうかは分かりませんが、信じてみようと思います」

『健闘を祈る。さらばじゃ』

「ありがとうございました。さようなら」
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寄生虫

2016/03/22 21:02
僕は寄生虫。

時々、周囲から羨ましがられたりするが、決してそんなにいいもんじゃない。

確かに寄生している事で食べる事に困る事はない。
縄張り争いをする事もない。
家族の為に働く必要もない。

ただただ、宿主の中で生きていけばいい。

しかし行きたい所へ行ける訳でもない。
欲しいものを手に入れる事も出来ない。
食べる物だって、目の前のものを食べるしかない。

僕からしたら、こんな事を羨ましがる奴の気がしれない。

鳥の様に大空を飛んでみたい。
魚の様に水中を泳いでみたい。
獣の様に大地を駆けてみたい。

しかし僕には、そのどれもが出来ない。
全てを宿主に任せる外はない。

誤解無き様、言っておきたい。
僕は決して、好き好んで寄生虫になった訳ではない。
望むならば、他の命になってみたい。

鳥でもいい。
魚でもいい。
獣でもいい。

とにかく、もっと自由になりたい。

遥か彼方にある山を登ってみたい。
周囲にある様々なものに触れてみたい。
目の前に用意されているもの以外も食べてみたい。

だけど僕は、そのどれもが出来ない。
ただただ、宿主に任せるしかない。

宿主の中で生きていくしかない。
僕には他の選択肢はない。
与えられた時間を消費するしかない。

本当に虚しい。
本当に切ない
本当に面白くない。

だけど、仕方がない。

だって、それが寄生虫。
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世界の底から世界を見上げて

2016/03/22 20:55
私は今、世界の底にいる。
これ以上、下には何も無い。

本当の底である。
周囲には誰もいない。

当然である。
私のような者が何人もいたら、世界は弾け飛んでしまうだろう。

それにしても静かである。
世界の中にいた時の喧騒が私の中に懐かしさを燈す。

しかし此処にあるのは孤独だけ。
そして孤独に支配された世界の底で、私は世界を見上げている。

何とも面白い。
世界の中にいた時には気付けない、そんなものが幾つもある。

誤解無きよう、先に申しておくが、世界の底から世界を見上げても、決して女性のスカートの中が覗ける訳ではない。
例え視界に入っても、そんな細かいものを認識は出来ない。

妙な想像をしてしまった方は残念でした。

それはともかく、世界の中にいた時とは、全然、違った世界が私の目の前に広がっている。

世界の中で人間は都合の悪い「嘘」に操られて、世界のあちこちで混乱を招いていたりもする。

これはもう、みんなが知っている事であろう。

その一方で、この世界は如何に多くの「嘘」に守られているのか。

例を一つ挙げるならば、人はよく、この世界に蔓延る理不尽さや不条理さを嘆く。
しかし、その理不尽さや不条理さは、そもそも人間が生み出しているのだ。

人間以外のものからしたら、人間の存在自体が理不尽であり不条理であったりする。
要するに理不尽さや不条理さを嘆く事は、自らの存在を嘆いてしまっているのだ。

そして「嘘」がその様な事実を覆い隠してくれている。
人間の都合の良い「嘘」に依って、人間は人間でいられる。

何ともおかしな事である。

しかし、そんな人間ですら、この世界は許容してもいる。

「嘘」も「理不尽さ」も「不条理さ」も、そして「私」でさえも。

今、この瞬間に存在する、ありとあらゆる何もかもを許容しているのだ。

世界の底にいると、そんな世界の器の大きさを感じずにはいられない。

『無限大の刹那の中で、あらゆる存在は許容される』
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孤独の天才

2016/03/22 20:41
なんでだろう。

私は一人ぼっち。

なんでだろう。

いつもいつも空回り。

私は本当に一人ぼっちなんだな〜っと。

自業自得。

因果応報。

いい事も悪い事も、全部自分に返ってくるんだよね。

そして私はいつも一人ぼっち。

そう。

私は孤独の天才。

天才の孤独だったら珍しくもないけど。

世界中で私だけ。

それが孤独の天才。

だから一人ぼっち。

そして一人ぼっち。

ずっと一人ぼっち。

それが孤独の天才。

今日も一人ぼっち。

明日も一人ぼっち。

ずっと一人ぼっち。

それが孤独の天才。

寂しい。

でも、孤独の天才だから。

寂しい。

そう、孤独の天才だから。

寂しい。

うん、孤独の天才だから。

本当に天才は辛いよ。
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