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奴隷養殖場

2017/03/10 12:35
2200年。

日本は奴隷の養殖場と化していた。

領土も本州を残すのみ。

100年程前に日米関係が悪化して米軍が日本から撤退を始めた。

グローバル化が進み、地理的に遠い場所から影響力を持続する事のメリットも少なくなっていた米国にとって、関係が悪化した日本をわざわざ守る必要も無い。

そして米軍が日本からの撤退を終えると間もなく、待ち構えていたかの様に中国が沖縄への侵略を始める。

日米同盟が崩壊した日本には中国の横暴を止める術は無かった。

米国は米国で遠くの土地よりも近くの土地。

メキシコへの侵略を始めていた。

すでに他国への侵略行為が否定されていた時代では無い。

世界の風向きが変わっていた。

地球の温暖化に伴い、海面上昇を招き、人間の生活可能域がどんどんと減っていく。

それを補う為に他国を侵略する事が当たり前になっていたのである。

そんな中、東アジアでは着々と軍事力を増強してきた中国のやりたい放題だった。

更にそんな中国を見て、ロシアも北海道への侵略を始める。

中国の沖縄侵略に戦力を疲弊させられていた日本はロシアの侵略に抵抗する事すら出来なくなっていた。

そして沖縄の占領を終えた中国は九州、四国へも侵略を続けていく。

その結末として、日本に残された国土は本州だけ。

それも日本人を閉じ込めておく為の土地でしかなかった。

そして他国は日本人を奴隷として必要なだけ連れていく。

すでに日本は国家として何の力も無かった。

奴隷の養殖場として存続を許されている状態でしかない。

日本人は奴隷にされる事に怯えながら、絶望の中で生きる事を強いられてしまう。

200年前の日本人には想定する事すら出来なかった事なのかもしれない。

まさか、暴力が評価される時代が再びやって来るなんて。

しかし今更、そんな事を言ったところで後の祭り。

地球に数多ある生命と同じ様に時代も生きている。

今ある姿が永遠に続く訳ではない。

暴力が評価される時代から暴力が否定される時代になり、再び暴力が評価される時代になった。

それならば、再び暴力が否定される時代が来る事もあるだろう。

今はただただ、その様な時代が再び訪れる事を願って、命を繋いでいく外はない。

再び日本が世界に羽ばたける日が来る事を信じて。
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絶望までのモラトリアム

2017/03/06 17:50
私はいつまで生きる事が出来るのか。

私にいつ死が許されるのか。

絶望までに残された時間。

そう。

絶望までのモラトリアム。

恐らく、というか間違いなく、そう長くはないはずである。

「一年も、もたないだろう」

その様な余命宣告を受けてから、約半年。

残り半年の間に死ぬ事になるとは思う。

ただ、その半年のいつになるのか。

どうしても、それが気になって仕方がないのだ。

もし私が元々、健康であったなら、病気になり余命宣告をされる事でショックを受けたのかもしれない。

しかし私は生まれついてから、ずっと闘病生活を送っている。

そんな中で死ぬ事を望む様になっていた。

そして突然に降ってきた余命宣告。

その余命宣告は私にとって、ある種の希望となった様に思う。

"後、一年だけ生きれば、死ぬ事が許される"

勿論、死ぬ事に対する恐怖はあっただろう。

でも、それ以上に死が待ち遠しくもあったのである。

長い闘病生活の中で生きる事に希望を抱く事は苦痛以外の何モノでも無かった。

勿論、治せるのであれば、治して元気になりたい。

最初はそう思って、頑張って治療を受けていた。

しかし、いつまで経っても病気が良くなる気配すらない。

それでも周囲の者達は励ましてくれた。

勿論、その気持ちはありがたくはある。

でも、いつまでも良くならない病気。

その病気は私の精神まで蝕んでいく。

何もかもが嫌になる。

何もかもが信じられなくなる。

何もかもを投げ出したくなる。

そんな私にとって周囲の励ましは刃となっていった。

そして次々と切り刻まれていく。

"何故、こんなになってまで生きようとしなければならないのか"

いつしか生への希望は絶望へと変わっていた。

本当の本当は死にたくなんかない。

でも、こんなに辛い思いをしてまで生きたくもない。

ただただ、楽になりたかった。

そんな私の気持ちを察しての事なのか。

それとも病院側も正式に治療を諦めたという事なのか。

とにもかくにも、私にとってはサプライズなプレゼント。

正直、ホッとした。

そして絶望が希望へと変わった。

"長くとも一年以内に死ぬ事が出来る"

そう思うと生きる事が楽しく思えてきた。

残りが少ないと思うと、その残された時間を大切にしたくなる。

不思議なもんだね。

それまで

"いつまで生きなければならないのか"

と苦しんできた事すら、馬鹿らしく思えてくる。

そして

"いつまで生きる事が出来るのか"

その事にワクワクする自分がいる。

死という本当の絶望までの猶予期間。

今の私には、それだけが気掛かり。

勿論、死にたくはない。

でも、死にたくもある。

勿論、焦りを感じたりもする。

でも、待ち焦がれたりもする。

絶望までのモラトリアム。

そして私は気付かされた。

以前に感じていた絶望がまやかしであった事。

死を望む事が絶望だなんて思い込みでしかなかった。

例え死であろうとも望む事が出来るのは生きているからこそ。

だから実際に死ぬ事だけが、この世で唯一の絶望なのだ。

生きる事は実際に死ぬまでの猶予期間。

その猶予期間をどう過ごすのか。

人それぞれ。

私は人生の殆どを恨んできた。

でも、人生の最後に楽しむ機会を与えて貰えた様に感じる。

だから私は精一杯に楽しむ。

死に焦りを感じる事を楽しむ。

死を待ち焦がれる事を楽しむ。

とにかく残された時間を楽しむ。

そんな中で、どうしても気になってしまう。

猶予期間がいつまでなのか。

でも、それも楽しめばいいんだね。
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